IN MY LIFEー母の命日
本日、母が11:40分に老衰のため、亡くなりました。
こんな忌々しいこと、なぜ、書くのかというと、自分の人生の中でやはり一番インパクトがあったのと、これを読むことによって、自分の軌道修正を図りたいからです。
昨日、一番、大きい個室に移り、簡易ベッド入れてもらい、一晩中、付き添いました。
朝になり、だいぶ、症状も落ち着いていて、姉と兄が来たので、「お前、疲れているだろうから、家に帰って、寝て、夕方来いと言われたのです」それで、家に帰って来たのですが、なんか、胸騒ぎがして寝られず、40/70のブログ書いて、さて、寝るかと思い、布団かぶった瞬間に姉から電話、急変した。早く来いと。
朕は慌てた。嫌な予感がしていたから、夕べ、あんだけ騒いでいた母が、朝、落ち着いていたのは、むしろ危険だったのでは?
それで、自慢の足腰でチャリですっ飛ばして、前にいる邪魔なバスもすっ飛ばし、さらには、病院のエレベーターが閉まりかかったので、足で蹴り入れて、開けて乗った、そして、病室に飛び込んだら、姉や兄が泣き出していて、血圧が急降下して、呼吸もしなくなった、とのこと。
それで、朕はすぐに母親の前に飛び込むように顔出したら、急に眼を開けて、大きな口で深呼吸したが、それが、最後だった。
とにかく、言葉で表せない悲しみや辛さって、こういうことなのか。でも、冷静に、兄や姉に泣かないでくれ。泣くと成仏できない。と、強気で挑んだ。
しかし、一人になって、母の遺体に向かって経を読んだ時は泣いた。「生き返ってくれ」でも、所詮、無理だ。
それよりも成仏を願うしかない。
幸い、斎場が混んでいて、8日でないと告別式できないということになり、それまでは、母の遺体はお寺に安置してあるので、明日から、毎日のように、お寺に通い、経を唱える。それしか、親孝行はできない。
みんなも、辛いことあるだろうから、朕ばかりではない。と自分を勇気づけている。
「心」が一番大切だ。
この先、自分の方向性を考えながら、生きる。
せめて、自分の子(孫)を見せてあげたかった。