母の思い出を通してー山梨県の将来

やはり、母親の思い出は山梨にありました。戦争が始まった際に、祖父が新潟にするか、岐阜にするか、山梨にするか迷ったそうです。結局、富国生命の創業者の実家が山梨市内の岩下というところにあり、そこが安全だという事で、隣の家を借りたそうです。

昔の方は、たいそう健脚で山の上の方から、市内の学校まで歩いて通ったそうです。

母が亡くなる3年ほど前に、東京で、なかなか特養に入れませんでしたから、一時的に市内の桃源荘にお世話になりました。ここの職員さんや施設はとても良かったです。

 

話が変わりますが、今後も、山梨県は東京の受け皿的に介護施設を増やすのでしょうか?

 

将来的は、道州制を導入するという事を聞いてますので、それを考えたうえでは、もう一度、東京の企業の誘致を行なうのも大事かと思います。

特に、山梨市はかなり広い面積で誘致できる土地はあります。昔はNECの工場がありましたね?

今、土地の単価で考えたら、コールセンターや工場の誘致がよろしいのではないでしょうか?

山梨市は、夏以外は農家は閑散期なので、人は集めやすい。そして、繁忙期には、帝京学園系列の学生で補ったり、農家以外の主婦で対応できると思います。

もうひとつ、山梨人口100万人トライには、大月に東県庁、甲府に本県庁を置き、東京、神奈川とのラインを形成しておくとよろしいのかなと思います。

この度は、母が大変お世話になりありがとうございました。母も子供の時の思い出を大事にしてました。